農民美術
〜 上田獅子について 〜
 
上田獅子  奈良時代、信濃に国府が置かれ、その中心として繁栄した上田城下の常田村、房山村(ともに現在の上田市)に伝えられている獅子踊りが、天正11(1583)年真田幸村の父、安房守昌幸が上田城構築の地固め式を行ったときに、両村の獅子踊り改めて作り直したものが起源になっています。
 その後、祇園祭に踊られるようになり、常田の獅子が雄獅子、房山の獅子が雌獅子と言われています。
 築城後、城主は真田、仙石、松平と変わりましたが、獅子舞は場内の広庭で明治の廃藩置県まで毎年奉納され、明治以降は特別な祝祭典などの時だけに踊られるようになりました。

 
祢宜(ねぎ)一人 猿田彦命にまねて一行の先頭に立ち先導します。常田は朱塗りの天狗面と折烏帽子姿で、片面に鶴、片面に亀が描かれた大団扇を持ちます。
 房山は金色の天狗面に烏兜をかぶり、右手に五色紙の大弊を、左に鈴を携えます
獅子三人 各獅子頭を戴き、小団扇を手にします
鉦叩六人 常田は両目と鼻のみの面と鍬形を着け、房山は赤黒の鬼面に長髪を被り、いずれも鉦撞木を持ちます
歌揚十数人笛を吹く人が九人、太鼓が一人
小簓(ささら)大勢の子どもが花笠をかぶり、簓を持ちます(明治の頃廃止)
警固大勢麻の裃を着て、竹の鞭を持ちます

 
上田獅子(作品写真)尾澤木彫美術館蔵
資料提供長野県上田市黒坪 尾澤木彫美術館
  電話:0268−22−4337