| . | |
松崎先生は、もちろん松高OB。松高最後の卒業生から数えて、3分の1世代前の卒業生。そして、松高が伝統ある歴史に幕を降ろさざるを得なくなったその時、先生は松高の若き教育者として、教壇に立っておられた。長野市近郊の稲荷山の町(現在は更埴市)に生まれ、旧制屋代中学から松高に合格。卒業とともに東京帝国大学に進学し、卒業後、幸いにも兵役を免れ、今度は母校で教える側に立たれた。同年輩の男性はほとんどが戦死されたという。 現在も松本市在住。時間のあるときは、資料館を訪ねて来館者に「生の」証言や、当時の暗い世相の中での、ほっとするこぼれ話などを聞かせて下さる。 記念館の各階にあるゲストブックに記された、若い来館者のメッセージの中に、「松崎先生に会えてよかった」とか「松崎先生ありがとう」とあった。お人柄だろうか。運がよければ、あなたも会えるかもしれない。 印象に残ったのは、論理的で明晰なお話ぶり。天性のものかも知れないが、若いとき頭を鍛えれば、かくも頼もしい後半生を送れるものなのかと、内心の感嘆しきり。 | |
校舎の片隅に、忘れ去られた倉庫があった。埃にまみれた紙束は,そのまま焼却されるか、資源として再利用されるかの運命にあった。わずかの間にいろいろなことがあった。まず、松高そのものがなくなってしまった。校舎を引き継いだ信州大学文理学部も旭町にできた新たなキャンパスに移転することになった。 | |
![]() |
![]() |