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この雛人形は文化12(1815)年、諏訪忠恕(後に8代高島藩主)が松平 定信(元の江戸幕府老中、白河12万石藩主)の娘、烈との結婚を幕府の許されたとき、 烈姫が結婚道具として諏訪に持参したものと伝えます。
当時烈姫は18才(一説には22才)、諏訪忠恕は15才で、3万石と家格も下でした。 家格のやや高い家や、幕府の要職にある家の娘をもらうのは珍しくないことですが、 若殿を年上の姫君が見初めた、という言い伝えもあります。
この雛は、高さ50cmを超える大変大型で豪華なものでした。 清昌院雛人形はいずれも当時はやりの古今雛で、顔の作りは美しく写実的です。
内裏雛の姿はいたるところに江戸文化の香りがします。