江戸時代の余業の発展

−諏訪の寒さが生んだ特産品−


諏訪の寒さは厳しくて長い。夜は、零下7〜8が普通で二ケタ珍しくない反面、昼はからりと晴天の日が続く。
この、気候を活かし江戸時代の余業として始められたのが、寒天・氷餅・鋸である。
寒天の材料である天草は海でとれるが、山深い諏訪で日本一の製品となる。
寒天は、江戸時代の農家の余業として始められ、明治38年中央線が開通すると、輸送のハンデが一気に解消し昭和の初期には、全国のシェアの40%を占めた。
現在は、茅野市で生産され、健康食品やハイテク分野の培養などに利用されている。
氷餅は、江戸時代諏訪藩の独占事業で行なわれ、高島城内の氷餅部屋で藩士らにより、毎年数十俵分が製造されていた。品質がよく、諏訪湖の鯉とともに将軍家へ献上されていた。
機械化も試みられたが駄目だったようです。
氷餅は離乳食、病人食、保存食等に用いられているが、とりわけ高級和菓子の“初霜”は霜柱のような素材の美しさがそのまま活かされている。
鋸は江戸時代に、江戸の鋸鍛冶が高島藩の招きにより諏訪に転住し、製造を始めたことが信州鋸の元祖と言われています。
その後、茅野市において発展し、新潟県の三条市、兵庫県の三木市と共に三大製産地として知られています。
この信州鋸は、長野県伝統工芸品に指定されています。