八代 真田信濃守幸貫公

川上湯湯崖画


幸貫は白河藩主松平越中守定信の二男で文政6年(1823年)真田氏の家督を継いだ。天保 12年(1841年)に幕府の老中兼海防掛となり、日本の沿岸防衛について強化を 主張するとともに開国を説いた。 性格は剛毅果断、文武を奨励し産業の開発が富国強兵の道であるとしてその興隆に 努めた。またこのためには各方面の人材養成に着眼し、佐久間象山、村上英俊の逸材を登用するほか銃砲の術についてはとくに留意し、晩年には松代藩では新式の大砲二百門小銃三千挺を常備し 列藩随一と恐れられた。 幸貫は諸芸に達し、文に画 に陶芸にその遺作は夥しい数にのぼっている。嘉永5年(1852念)62歳で没した。