科学者としての象山


ガラス製造 弘化元年34歳にして黒川良庵についてオランダ語を学び、藩費40両をもってショメール 百科全書を求め、これによってガラス製造を試み各種の実験をした。
大砲

38歳、自作の大砲を清野に於いて試射
翌年西条村開善寺に於いて新野戦砲を試射した。

左の写真は横浜市中区薩摩町藤沢ビル前に展示され、次のように説明されている。

「此の大砲は当社屋新築工事中に此の地より発掘されたもので、文献によれば嘉永7年(1854年) 米国使節ペリーは幹線数隻を率いて日本に開国通商を迫った際、幕府は会見の場所を横浜に設け、使節と 交渉せしむるにあたり、松代、小倉の二藩に警備を命じた。松代藩佐久間象山は軍議役として和蘭新式野戦砲二門 牛角砲二門,本込銃卒百名のほか鎗刀兵等の装備にて威風堂々と出陣し来り、幕府を驚愕させたが、厳命遂に黙しがたく ,断腸の思いにて此の地に埋没した物である。」(昭和35年8月)

電信

松代藩鐘楼

銅線に絹を巻いて自作の電線を造り、オランダの理学書によって試作した電信機で、 松代藩鐘楼より70m離れた御使者屋との更新に成功し,日本で最初の電信開発者となった。
地震予知器

安政5年に作る