鶴峯公園の歴史
 鶴峯公園は初め片倉合名会社の所有地で、かつては蔓根崎・蔓根山と呼ぶ松林であった。

 付近には縄文中期の遺跡広畑や、高尾城址などがあり、これらを含めて高尾郷と呼んでいる。園内にはもと土地の人が異人屋敷と呼ぶ建物があったが、これは横浜商社の外国人などを片倉製糸が接待用に使用したものである。大正6年7月現鶴峯会館の位置に、私立片倉尋常小学校が建てられ、製糸場の義務教育未修了者を入学させ、昼間授業を行った。

 昭和元年、片倉会社では、この山を憩いの場とし、噴水や散歩道を作った。4年11月初代片倉兼太郎の銅像を建設し、公園化して鶴峯と解消した。この銅像建立を記念して川岸村会は、この地につつじ300本株を植えることを決め、埼玉県安行から、購入することにしたが、この時安行側の勘違いで貨車3台のつつじが送り込まれ、村内有志の奉仕によって幾日もかかって植樹した。初代兼太郎の銅像は、戦争中金属回収の対象となり、18年に撤去されたが、戦後有志によって台座に翁のレリーフ胸像を再建し、今日に至っている。

 昭和25年、川岸村会の決議によって鶴峯公園管理委員会が生まれ、三沢青年会などの協力でつつじの公園としての整備が続けられた。27年には、ここを訪れる人々のために休憩所が必要となり、片倉学校のあった地に鶴峯会館を建設した。

 鶴峯公園は中部日本有数のつつじの名称として知られ、塩嶺王城県立公園の一部となっている。
 3万株30余種に及ぶつつじの花が、全山を埋めつくして咲くさまは実に見事である。つつじが花期が長く、毎年5月中旬頃から6月上旬にかけて催されるつつじ祭りの人出はおびただしく、30万人近くに及んでいる。

 ●交 通 ●
岡谷駅発川岸・辰野行きバス5分 鶴峰公園下車

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