| 中部山岳国立公園と上高地 |
| 中部山岳国立公園は、我が国の代表的な山岳公園で 北は立山・剣岳から南は乗鞍岳に至る、北アルプス一帯 が指定されています。 穂高連峰と焼岳・霞沢岳などに囲まれた上高地は、標 高1500m細長い小盆地ですが、北アルプスの利用拠点 として古くから知られており、梓川の流れとあいまった山岳 景観は、我が国第一級のものと言われています。 |
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| 針葉樹林に囲まれ壮厳なムードをただよわす明神池がある。 その明神池のすぐ手前にある嘉門次小屋は、上高地を世界 に紹介した宣教師ウエストンを案内した上条嘉門次がその生 涯の送ったといわれる。 小屋の正面には、嘉門次の碑がある。 |
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| 梓川の辺り、霞沢岳、六百岳を望巨岩にウエストンのレリーフがある。 彼が始めてこの上高地の地を訪れてから、百余年。 山を愛し上高地を愛したウエストンは、日本近代登山の父として、梓川 の流れとともに自らが世界一と賛えたその地を永久に見つめている。 | ||
| 始めてウエストンのレリーフが上高地に掛けられたのが昭和12年(1937年)以後第二次世界大戦の時は、日本軍の影響から取り外しを余儀なくされたが、終戦後の昭和22年の復旧式まで日本山岳会会員の手で密かに保管されたと言う。 ウエストンは、(一八六一年〜一九四〇年)は、英国国教会から派遣されて二七歳で初来日、以後登山家として日本各地の名峰を制覇、その記録を「日本アルプスの登山と探検」著し、広く世界のに発表した。 この上高地にも度々訪れ、地元でもその人柄が愛されたと言う。 現在のレリーフは、昭和40年に製作者佐藤久一郎氏の手で、傷みが激しかったものに代えて新たに作成されたもの。 毎年6月に彼の功績を忍ぶ「ウエストン祭り」開かれている。 | ||
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| 江戸時代 | 上高地周辺は、松本藩の有林として木の伐り出しが行われ始める。 |
| 文政11年(1809) | 播隆上人、槍ヶ岳登頂(開山) |
| 明治10年 | W・ガウランド、外国人として、始めて槍ヶ岳登頂。 |
| 明治14年 | W・ガウランドにて始めて「日本アルプス」の名前が付けられる。 |
| 明治19年 | 上高地開墾計画がでる。(実現せず) |
| 明治24年 | W・ウエストン、上高地へ。 翌年、槍ヶ岳登頂 翌々年、前穂高岳に登頂。 |
| 明治29年 | W・ウエストン、ロンドンで「日本アルプスの登山と探検」を出版。 |
| 大正 4年 | 焼岳大爆発で大正池できる。 |
| 昭和 4年 | 中の湯まで乗合バスがはいる。 同年芥川龍之介、上高地「河童橋」にヒントを得て、小説「河童」発表 |
| 昭和 8年 | 上高地帝国ホテル開業開始 |
| 昭和 9年 | 中部山岳国立公園に指定 |
| 昭和10年 | 河童橋まで乗合バス入る。 |
| 昭和12年 | 最初のW・ウエストンレリーフが現在の位置に設置 |
| 昭和22年 | 第一回ウエストン祭開催 |
| 昭和27年 | 国の特別名勝、特別天然記念物に指定。 |
| 昭和37年 | 焼岳爆発。 |
| 昭和38年 | 「上高地を美しくする会」発足。 |
| 昭和42年 | 上高地開山祭始まる。 |
| 昭和50年 | マイカー規制はじまる。 同年「河童橋」架け替え。 |
| 昭和52年 | 大正池浚渫開始。 |
| 平成 4年 | 上高地下水道工事完成 |
| 平成 9年 | 河童橋架け替え |
| ここがポイント |
| 上高地の服装 |
| ● ショートスティ |
| 上高地の歩道は舗装されていない所が多いので 短い滞在でもトレッキンシューズやスニーカなど歩 きやすい靴をおすすめします。河原に座ったり、長 時間歩くなど活動的に一日を過ごすことが予想さ れますので多少の汚れは、気にならず、動きやす い服装であることもポイントです。 また、変わり易 い天候を考え、体温調節のためにも夏でも一枚多 めに上着を準備しておくと良いでしょう。 |
| ● ロングスティ |
| 昼と夜との寒暖の差が激し上高地の滞在には、容 易に温度調整の出来る重ね着ファッションをお勧めし ます。 アウトドアショップで売っている汗をかいても乾 きが早く、かつ保温性に優れた素材のシャツもお勧め です。 また、雨対策にはウィンドブレーカーと兼用に なる。セパレート式の雨具を。 蒸れを防ぐ透湿防水の ものであれば、雨の中の散策も心地良く楽しめます。 |
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