由来


起源
水引の起りは古く飛鳥時代(607年)遣随使小野妹子が帰朝したおり、随の答礼使が携えてきた贈り物に海路の無事平穏を祈って紅白の麻紐が結ばれていた。この時から宮中への献上品はすべて紅白の麻で結ぶ慣例となり、この麻は「くれない」と呼ばれていた。「水引」と呼ばれるようになったのは平安時代のことです。
この風習がしだいに民間に広まり江戸時代には目的によって水引の色や結び方を変えるまでに、発展したとされています。
元結
かつら 飯田元結の起源については諸説ありますが、飯田藩主堀昌は、殖産興業の一環として飯田和紙に付加価値をつけるため、下級武士や町人・農民に、製造法を習わせたのが始まりと言われている。
飯田の元結は、もともと品質の優れていることで評価を得ていましたが、美濃の国から紙漉き職人の、桜井文七を招き、元結製造に改良を加え光沢のある丈夫な品を作り出すと「文七元結」として全国にその名を知られるようになりました。
同様の製法で作られる水引は副業に過ぎませんでした。
現在の相撲協会で使用されている力士の大銀髷も飯田元結が使用されています。
近代工芸
明治4年の断髪令によって元結の需要は激減し、変わって副業であった水引が生活向上に伴い生産量が増加しはじめました。
最近では水引そのものの、製造はほとんど機械化されましたが、一つの製品・作品として細工する作業は、現在もすべて手作業(内職の主婦約一万人)で行われています。
以前は紅白水引が主流でしたが、最近では祝儀袋など伝統的な物に加えて立体工芸結び の技術を使った美術工芸品としての評価も高まってきています。
現在水引製造は全国の70%をしめるようになりました。


資料提供:飯田市役所
ライン
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