由来

阿島知久氏は慶長六年(1601年)以来江戸幕府の命令で浪合(下伊那郡浪合村)の関所を守っていました。うららかな春の日、この関所を通りかかった一人の旅人が腹痛で苦しんでいるのを、関所守が番屋に泊め、懇ろに介抱しました。快癒した旅人はお礼に傘作りを伝授してくれました。知久の殿様は、全ての材料が領内にあるのに目をつけ、この地の産業として広められました。阿島傘の名声も月日とともに遠隔の地まで知られ今尚多くの人に愛用されています。




歴史

阿島傘の歴史は江戸時代中頃に始まり、明治末期〜大正始め頃に家内工業として発展しました。
最盛期には、年間30万本もの生産をあげていましたが、現在では年間3、000本程度に減少してしまいました。





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